やもめというのもある一線を越えると、人生が楽しくなってくるんだよね。
考えようによっては怒る人もいるかもしれないけれど、あのことがあったから今があるのかもしれん。必然だったとは言わないけれど、避けられない何かがどっかで仕組まれていたのかも・・・そんなふうに考えても良いと思うのです。
若いころは「死ぬ」ということが怖いこともあるものだろうけれど、一旦認めてしまって、ある納得を自分の中ですることによって、「あ、残りの時間大切にして、その時の長さの中でなにを達成できるるか?」ということ熟考できるようになるよ。
やもめになるって言うのもね、あの世からの指令なのか、自業自得なのか、因果応報なのか前世の行いなのか、分からないけれどそこんところに一定の整理を付けるんだね。すると気が楽になるのさ。
もう1回人生をやり直しているような気分になったりしてね。
「・・・俺の精神年齢って・・・もしかして20代? いやさすがに無理があるだろ!じゃぁ30代、、、あ~それはあの瞬間から止まっていたのかも、また動き出したのかもな」
な~んて考えるんです。
でも身体の方はそのままですけどね。
しかたないです、身体は物質ですからね。
悪いところは悪いまま持病として残っているし、、、あ、でも精神は身体にも少しは影響あるんじゃないのかなぁ、とも思うのは、少しずつかもしれないけれど、良くなっていますからね。「病は警告!」と常日頃言っていますけど、油断せずに怖がらずに相対しているうちに戻ってくるみたいです。
たいしたもんですね人間って。
いまは体力かな、そりゃオリンピック選手にこれからなるのは難しいでしょうから少しずつでも動けれるようにしていこうと心がけてますけど、サボりは人生でもある人なので・・・。
「人間到る処青山あり」という
青山は墓地の意味、一旦志を決めたなら・・・そこで死んでもいいじゃないか。という処なのだけれど、もうちょっと解釈を進めてさ、「人間何処で死んでもいいじゃないか?」と考えると死に場所はどこにでもあるけれど、同時に生き場所だってどこにでもあるのだよ。
おそらくここに来る人はやもめが多いだろう。と考える。
彼や彼女を喪って、それぞれの暗い時間を過ごしてきてやっと踏ん切りがつきそうな、心の整理がつきそうな時期、もう少し進めると悩んでき続けたことにその意味を理解して納得が行くようになるのだと思うよ。
もうね、新しいところでだって生きて行けるようになる。
そんなもんさ。
だからこのブログ、けっこう気楽に書いているのです。管理人自身の日記としてもね気楽に書くことにしているのだよ。
だから、全~~~然、まったく不定期更新なのですわ。
本当はもう少し「やもめの心話」も今の人?なりたてやもめ?さんにも納得への道を見つけられるように書きたいのだが・・・
なんてな。
思ったんだよ。