過去を探さずにはいられない遺された人々

最後のビデオがあって、

その中身は、

子供が小学校の全国大会に出場したときのビデオだ。

私が撮ったテープのカセットの時代のもの。

だから、ビデオカメラはいまだに残している。(確かSONY)

引越で行方不明になった。

テープの方がだ。

たのテープと一緒にしていた箱ごと見当たらなくなった。

「まぁどっかにあるだろう」とたかをくくって忘れていたけれど、

まだ建てたばかりでそんなに大掃除をするところもあるまいよ。

などと嘯いていて昨年の暮れに掃除をそっちのけで探しに突入した。

みつけた。

確か、特別に紙にくるみ輪ゴムで止めていたはずだったのだけれど、経年劣化はしかたがない。全部外れていた・・・

こういう遺影というか、最後の映像というものはその本人にとっては何ものにも代えがたい記憶の証明。

見て確認したいようなしたくないような、したくないようでいて見たい。

今回に限って言えば、そのテープで間違いないか確認しなければいけない。

複雑な気持ちでカメラを電気に繋ぐ。

何本も何本も、

記憶を探りながら、イヤ、この試合は地方のだから違う・・・などと独り言。

何本も何本も・・・

おそらく彼女は見て欲しくなかったのかもしれないな、だって最後まで隠れていたようだ。

のこり数本のところで私の覚悟に負けたようだ。

そういえば生前もそんな付き合い方だったかも(だから後悔も深かったのかもなぁ、そのうち書くよ)

「あ、これだ」

また書く(続きはここで)

テレビで亡くなったおばあちゃんの声を聴きたい!という話題をやっていたので思い出したのだよ。

この記事はここまで♪
さて!
今日も元気で活きてこうぜ