けっこう常識という枠組みは幻想だったことに気が付く

沈黙の日本人

死別後に人生を振り返ることが多くなって、「なんだかなぁ」って感じることも増えてきて、やもめになりたての時期というのは、自分の中の人生の常識のようなものを一旦壊し切って再構築していく過程だったような気もしている。

どうでもいいようなことを、夫として、妻として、子供の親として、「こうあるべき、こうでなくてはいけない」というような他の人から教わった常識に囚われていたように思うことが多くて、そうじゃないんだよ。

教わった常識を自分の中で咀嚼して反芻して自分のものにしていかなくてはいけなかったことをやらなかった。

今になって慌てて集中して書き換えているような思いになったことがあって、けっこう楽しかったりする。

でも、それを彼女がまだ生きているうちに出来なかったことをちょっと悔いたりもする。それができていれば彼女ももっと楽しかったんじゃないか? もしかしたら死ななかったかも?

 

なんてことを考えてしまうのも、やもめの宿命なのかもね。

 

そんな思いがあったりして、ここのブログは独立して運営している理由かもしれない。

 

 

癌という病気、配偶者の死別、その後生き方、もしかしたら再婚? こんなふうに4段階に分かれているのだよ。モアイのブログはね。徐々に元気になっていくんだな。。。

 

ではまた。

 

 

この記事はここまで♪
さて!
今日も元気で活きてこうぜ