【眠れぬ25時に】あの人が死んだのは誰のせいでもない

やもめの心話

罪悪感というのは一度こびり着いてしまうと払拭するのがなかなか難しい。

あの人が亡くなったのは、ほんとうは誰のせいでもないんだよ。

病なのだ、、、

病のせいなのだ。

病気が悪いのだ。

そう考えれば良いのだけれど、「どうしてだろう?」「なんでだろう?」これの繰り返しだ。毎日毎日、そんなことばかりが浮かんでくる。

堂々巡りとはこのことだ。

事故、確かにそのほうが楽なのかも知れない、憎む相手がいる、憎むことを許される相手が存在してくれているのであればなぁ、とは思いつつ、、、いつまで憎むのか?って課題がまた現れるだろうな。

実際はそうではないわけで、もしかしたら本人が心のどっかでスイッチを押してしまったのかもしれない(この話はまた別などこかで)

結局は最後に自分で納得できる答えを見つけなくてはいけないのだね。

そう考えてみてくださいな。

誰?誰の責任ですか?

あなた?

それは、あなたがそう思っているだけ、そう思いたいだけ、その思いにとどまっていたいだけだよ。

病気での死別って、誰かの責任を追求できることっていないんだよ。

誰のせいでもないの、あなたは精一杯看病したんでしょう?

やれることを全てやったはず、やれたかも知れないことをあとで見つけて「あの時に見つけられていれば・・・」ってそれは後付の後悔でしかないね。

誰の責任?

あえていううなら本人の責任です。

そんな残酷な物言い!

と感じるかも知れませんがこの世には人智を超えたなにか巡り合わえみたいなものがあるんです。最近感じませんか?

それが《やもめのモアイ》の結論でしたよ

そんな話、またしますね。