【眠れぬ25時】あの人が死んだのは誰のせいでもない

罪悪感というのは一度こびり着いてしまうと払拭するのがなかなか難しいね。

ほんとうは誰のせいでもないんだよ。

事故や事件じゃないんだから、、、

むしろそのほうが楽だったのかも知れないね、憎む相手憎むことを許される相手が存在してくれているのであればなぁ、とは思いつつ、、、いつまで憎むのか?って課題がまた現れるだろうな。

結局は最後に自分で納得できる答えを見つけなくてはいけないのだね。

そう考えてみてくださいよ。

誰?誰の責任ですか?

あなた?

それは、あなたがそう思っているだけ、そう思いたいだけ、その思いにとどまっていたいだけだよ。

病気での死別って、誰かの責任を追求できることっていないんだよ。

誰のせいでもないの、あなたは精一杯看病したんでしょう?

やれることを全てやったはず、やれたかも知れないことをあとで見つけて「あの時に見つけられていれば・・・」ってそれは後付の後悔でしかないね。

誰の責任?

あえていううなら本人の責任です。

そんな残酷な物言い!

と感じるかも知れませんがこの世には人智を超えたなにか巡り合わえみたいなものがあるんです。最近感じませんか?

それが《やもめのモアイ》の結論でしたよ

そんな話、またしますね。

死別直後~1年以上かかること

身近な人を亡くしたとき私たちは、もうあの人がいないこと隣にいてくれないことに疑問を抱きます。

それは大切だったはずのあの人が亡くなった直後から1年で済めばまだ良い方ではないだろうか? 人によっては数年、場合によっては十数年かかるのかもしれません。

それどころか男女差はありますが、死去直後から1年以内に遺族として生きのこった夫婦の一方も、あとを追うように亡くなっていくケースが多いのだそうです。

《やもめのモアイ》も実体験したことがあります。(どこかに書きました)その数年間には「もういいかな・・・」と思ったことはります。身体の変調で「もうヤバいのかも・・・」と感じたこともあります。

この辺から、「この世には、なにかある?」「人間の魂や心にもなにか・・・」と本気で興味を持ち出したことも事実です。

 

《やもめのモアイ》はそう考えます。

 

そんな時に読み漁った本です。(Amazonにリンクしています)

その他、死別を体験したときに参考になるかもしれない知恵を探しているとき、

なかなか解決できない疑問と罪悪感で苦しいときに読んだ本

 

このブログでは、つい最近まで傍らに寄り添っていてくれたあの人、夫や妻を亡くした方への心、魂に平安な日々が訪れるその日まで、様々な筆者なりの死別という人生で最大の悲しいできごとを考察しつつ書き綴っていきます。(《やもめのモアイ》より)

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※もし、あなたの心に平安が訪れたのなら、筆者にとっても幸いです。

そっとお知らせしておきます。
いま《やもめのモアイ》はここ熟々3にいます。