夫婦死別後は人間関係も考え方も変わる、変えたくなるかもしれないね。

やもめの心話(死別の第1段階)

死別後に変わるもの

死別後はたくさんのことが変わる。

周りの人の自分への接し方が変わる、生活が変わる、子育てが変わる、人との関係、付き合いが変わる、子育てだって変わる、生き方が変わる、人生が変わる。

生前の通りには行かない。

変わったと本人が思えば変わる。

周りの

どう頑張っても同じ状況を保つことはできない。

まず、最初にそのことを伝えておきたい。

それそうだろう、愛する人間がこの世からいなくなったのだ。

少なくともその当時に離婚寸前の関係だったとしても、まだ《情》は残っていて、もしかしたら死に至るかもしれない病と向き合ったときに、その《情》が湧き上がってこなかったのならば、最初から人間関係もなにもなかった人だったと私は考える。

ましてや、夫婦であって、その一方の病気であり子供もいるのであれば、《情》は必ずある。愛情であればもっと良いのだが、筆者は愛と情は似て非なるものじゃないか?とちょっと思っていて時にこういう話を書くときに思い出す。

初めて、ひとり親家庭になるということ。で子供との関係性も微妙に変わる。変わるから余計に焦る、どうやって育てていけばよいのか見失ってしまう。

そして死後離婚って本当に必要なのだろうか?死後離婚というのはおそらく亡くなった家族の血族、親戚との別離、絶縁を目的とした言葉でしょう。

たくさんの感情が湧き上がってきます。

「もうどうでも良い・・・」という気分になってしまったら

破壊的な衝動であったり、厭世的になったり、つまり「もうどうでもいい、闘いは終わった、終わってしまったんだから・・・」という考えになりがちな時期があるね。

厭世的な気持ちにもなるものだ。

筆者思うのですが、夫婦の死別はそれだけの衝撃を与えるのだよ。
奥さんに先立たれた夫は早死もするのだ。

そこを乗り越えるための確実な方法があるなら思いついたらとっとと書いている。本にしようとするかもね。

このブログにはちょっと相談できるコーナーを設けている。

もしもそんな気分になったときには利用してみるのも手だ。
必ず返信、、、とはならないかもしれないし、筆者が何かの都合で読めないかもしれない。そこは人と人との巡り合せだと諦めてほしい。「袖触れ合うも他生の縁」がなかったかもしれない。