病は警告!、老化は個人の選択だね。

いまやもめもやまい

そう思うのだ。

いくつになっても変に若々しいひとがいる、もういい年なのにも関わらず、だ。

きっとおそらくだけれど、筆者もそう見えるらしい、もしかしたらあの時から時間が止まっていたのかも、10年ほどは得をしているのかも、、、どうも若く見えるらしい。(といってもブログで証拠を見せるつもりもないけれど、「信じるか信じないかはアナタ次第」なのだ)

そう考えると、人は病になることも年を取ることも自分で自らが選択しているのかもしれない。

究極の話だけれど、怒らないで聞いて欲しいのは、

人は「あなたは癌です。余命も3ヶ月です」と宣告された時点で死を確定してしまうのではないか?

あれからそんな事ばかり考えていて年をとる暇がなかったのかもしれない。

病は警告だとしてどう向き合えばよいのかな?

万人に合うわけではないし、これをもって何かを売ろうとも思っていないけれど、せいぜい自分がやっていることをお伝えするくらいしかできませんよ。

弱くなった処に気がついたら、その弱さを元の強さに戻そうとするのではなく、助けてくれるものや、補填してくれる補ってくれる何かを見つければ良いと思うのだ。

むりやりに旧に復せと言われても身体だって困るよね。

「こんなはずじゃない、私の身体はこのくらいでヘタるものか」

と強く思いたい気持ちもわかるんのだけれど、早く認めてあげる。納得したうえで自らの身体を愛おしんで上げる。 大事にしてあげる気持ちを大きくしてあげる。それが警告に対処する早道なんじゃないかなぁ、と考える。

そんなふうに思うのだ。

「病は気から」ともいうけれど実際に病を体験し死に至る病を目の当たりに看病してきて残念な結果も乗り越えて改めて考えてみると、病って警告なんじゃないかなって・・・

病や身体の弱くなった部分に気がついてあげて、気をつけてあげる、その気持ちって大切だなって思うのであります。

いたずらに不安がったり恐れて落ち込んでしまうと、それって更に悪化させてしまうようなんだ。

例えば、歯に至るような病に侵された家族がいたらその対応は大変難しい。筆者の場合は妻であったわけだけれど、その世話、看病のメインを務めることになる夫(妻)として「気をしっかり持つ」ことは最初から大事業に挑むような初めての経験になるのだ。

そう思うんだ。

また書く。