死生観も人生観もまったく変わる。
たいていの死別者にとって違うものに変わる!!
少なくとも筆者にとって劇的だったんだ。
変わって当たり前。
そう思っていて良い、その後も亡くなった相方の親族であったり、友人という関係に変化があって当たり前だし、もし何も変わりなく交流できるとしたら故人の存在意義ってなんだったの? という話になってくる。
良きにつけ悪しきにつけ新しい世界が始まってしまったのだよ。
心の何処かで分かっているはずさ、認めるか認めないかだ。納得するかしないかだ。
あなたも少しずつ感じるようになるだろうことは、
付き合いが煩わしくなってきたりもするだろう。相手は亡くしたあなたの心を慮(おもんぱか)ってより濃い交流を仕掛けてくるのかもしれない、逆に「そっとしておく」ことを選ぶかもしれないね。
そのまま疎遠になってしまうことだってあるだろうサ!
あなたが選べば良いのだ。
そのまま疎遠になって、自然消滅を目指しても良いじゃないか?
住む場所を大胆に変えても良い。
死別というものは、生き残ったものに人生の大転換を促してくるのだ。
「変われ!」と言っている。強制している。
だから今までと変わらずにお付き合いを・・・は、無理!
私はそうするべきだった。
その後、一周忌くらいには引っ越しを考えたけれど、反対にあって・・・折れてしまった。
たらればの話ではないけれど、あのときに「生きる場所を変える」選択をしていたら今頃どうなっていただろう?と考えることがある。
強烈に大胆に大移住を画策しても良かったのかもね・・・
しかしだ、あのときに折れてしまったから現在があるのであって、いまの生活が満足で納得の行くものになっているのだから、「まぁ、人生そんなもんかもな・・・」だ。
選ぶのは遺された人だよ。
選んでよいのだよ。
まぁ、心の中で相談してあげれば喜ぶかもね。
今だからこそ、一つだけわかることは、死別後にあなたが思いついたことであるならば、自分を一番に考えたら良いのだ。
それだけのことを闘病中にはあなたが中心になってやってきたんだろう?
生前、故人を中心に生きてきたであろうあなたは、寝ても覚めても病院のベッドに寝ているあの人の病のことを寝ても覚めても思っていただろう? もう良いんだよ、良いのだ。今度は自分を中心に据えてよいのだよ。
ではまたね。ちょっと思いついただけさ。
続き書くかも・・・
あ
死後離婚
最近知った「死後離婚」という言葉。
なるほどなぁ、と。
つまり、死別後というのもは生前の姻戚関係が緩やかにいつの間にか変化していくものなのだけれど、強制的に終了させる。ということなんだね。
生前の夫婦関係の中で互いの実家や親戚に対して何らかの不満があって、夫、妻との死別をもってすべての関係を絶ちたい。と望むことだろうと勝手に想像している。
それもありだろうな。
生きているものが先なのだし、先に考えるべきこと。
どちらにしても、以前通りの「お付き合い」というものは維持することはできない。
故人が生きていたからこそ互いの親戚に対しての何らかの制御?が効いていたはずなのであってその箍(たが)が外れたらもうその限りではないのだ。いっそさっぱりしていいかもしれない(すまないが、筆者はやもめの味方をする)
大切な人が亡くなってしまったからこそ、遺しておきたいものが多々あるはず。
現実的な相続の問題も生じるだろう。
当然だ。
これからの生活を考えなくてはいけないのだ。
夫婦のどちらが亡くなっても「これからの生活を考える」ことが最重要課題だ。
それこそ、故人の家族がその後の面倒を子供ごと見てくれるわけでもないわけで、、、(そういう関係を築くことができていたならその限りではないのだけれど、稀有だろうなぁ・・・)
いずれにしても嘆くことは膨大に出てくる、発酵した沼みたいにブクブクと湧いてくる。そういう決断もありだろうな。
また書く。
今度は、
故人の友人は放棄する・自分の友人は?
ってな話をしてみたい、とは思うけれど、もっと重要なことを書きたい、と思いつくかも? そのときは少し延期をしますけど、悪しからず。
他人と他者
他人と他者という言葉の意味について疑問を感じることもあると思う。
モアイの解釈では、
「他人」というものは身内、家族以外のすべての人間という意味に感じていて、「他者」というのは自分以外の人間すべてという解釈で使っているのだけど、ちょっと思うのは「他人」という言葉にはちょっと、、、ちょっとなんだけど冷たい感じがするのだよ。
受け止めるほうの私が冷たい人間なのかな? なんて、まぁいいや。
そのためかどうかはわからないけれど「他者」を使うことが多いですな。
死後離婚は人が変わるための必要条件なのかも
こんな言葉を読んだ。
「人が変わるためには、
付き合う人を変える。
住む場所を変える」
なんかもう一つあったのだけど、忘れました。
あ、なるほどなぁ、と思いましてこの2つを覚えていたんですな。
これ寡婦さんにも言えることだと思うんです。だから死後離婚なんて言葉が流行ったりするんですよ。
付き合いたい人を変えたいんだと思うんです。
新しい世界に入るための儀式みたいなものなのではないか。
もちろん、いままで付き合ってきた人のすべてを断ち切るということではないのですが、少なとも、次のステップを踏むためには、見直し、吟味、選別はしなくてはいけないのでしょう。
意識してもしなくもなんとなく疎遠になって行くことがあるんだと思いますよ。ありませんか?
誰かが離れていってしまうことを自分のせいにしてはいけませんよ。
もう一つ、こうしなくてはいけないとか、あの付き合いは止めるとか、考えるのは良いのですがあくまでも慎重にね。
わざわざ争いの種を創り出すようなやり方はいかんのですよ。
静かにそ~~~っとです。
《やもめのモアイ》はそう思うのです。(いつもの通り個人の見解ですよ)
ちなみに私の場合、この2つとも達成しています。
もうね、きれいに整理されました。
ではまたね。
続き、書くかも・・・