ここに書かれていること

ここに書かれている記事の内容は世間様の話題に対して筆者《やもめのモアイ》個人意見の範疇で書いております。

あくまでも、世間という大河に投じられた一つの小石の波紋に対して筆者が感じたことを「歯に衣着せぬ」心の声を書き殴っている記事、とお考え下さい。

《やもめのモアイ》は、男未亡人、寡夫として世の中を斜に構えて視ている者であります。あくまでも参考までに、妻を亡くした変な奴の妄言とご了解くださいませね。

どっちから学ぶか:話を聴きたくなる論客とマスコミにのみ媚びるコメンテーター

ここ数年といううよりも、たぶんずっと、ず~~~っとテレビに出ていたであろうコメンテーターに関しては何も言うまい。

その後マスコミをステップアップの足場に使って、政治家になってみたり市民運動家?などになっていたりするわけだけれど、言ってみれば左がかった方々という意味なんだけど、、、言ってること面白くないわなぁ・・・

「あなた、それあなたの考えを押し付けているだけでしょ?」

「ここは日本だよ」

と言いたくなるのでありまして、とても何かの《学び》にはならんなぁ、と感じる次第であります。

気が付いてみるとですよ。

ただ、ただ声が大きいだけで、ちょっと我慢して聞いてみれば、あんまり中身がなくて、自分が知りたいことの応えを含んでいないことのほうが圧倒的に多くて、知識欲になにも寄与してくれていないな。

そういう時代があまりにも長すぎたのでしょうね。新聞はもとよりテレビもオモシロくないんですよ。

そういうことが表出している時代なんでしょうね。

なにかこうそうんな日本を状況的に支配したろ。っていう国の人たちが熱狂しているうちに日本人のほうが覚めてきた。そんな状況なんじゃないでしょうか?

今頃になって、たぶんなんらかの日本国民からの圧力?があったのかな?知らないけれど、少し逆の立場に立っている人たちを出演させるように持って行ってるように思うのだけど、ちょっと遅いのと、それでも差が大きいぞ。何やってんだテレビ!!!という批判も大きくなってきている。

それに、テレビって、まだ高をくくっているんだろうけれど冷静に見てみなよ。

《なぜ、これから、日本を動かしていくはずの若い人がテレビを見ないのか?》ってね。

変なことばかりやっているからだよ。

モアイはよく思うことがあるのだけど、「そのうち、新聞社かテレビがいくつか倒産するね」ということだな。

他国との紛争が勃発するか日本国内のマスコミの崩壊、ほぼ同時期に始まるように思うな。

だって、今回のモリカケ問題へのあのアプローチのやり方って、稚拙だよな・・・これ本気でやってんの?って思うし、たしかにそのマスコミにより倒閣運動を見ていて、なんとなく流されている年配の方もいるんだろうし、もちろん「俺たちの力を思い知れ」って考えているマスコミ人ってたくさんいるんだろうけれど、それって「ローソクが消える寸前?」

そんなマスコミを冷静に見ている若い人たちがたくさんいるし【その本当のところ】を若い人たちに伝えていくことが、私モアイも含めた、分かっている爺たちの役割だと思うのよ。

それは、長い期間日の目も見ずに学問・研究を続けてきて昨今になって初めて極光を浴び始めた、マスコミに媚びない人々からさらに学びたい。

モアイの妄想だよ。でも、なーんか、始まるような気がしてる。

面白いと言ったらいけないかもしれないけれど関心はもの凄く深いよ。

ではまたね。

大河に一滴

《大河に一滴》を初めて読んだそのあとに♪

本当はこのテーマだけでひとつのサイトを形成できる。と考えているモアイですが、いまはもう少しここに間借りさせていただきますよ。

もう一つの案件が落ち着くまでなのです。


ちっとは子供たちに良い世界を遺してやろうぜ!

そういうことだ。哀しみはもう十分だ。

誰が汚したのか、どの世代がやっちまったのか?そんなことはどうでも良い。我々がいなくなった世界が少しでも、ちょっとでもいいから気持ちの良い時代になるようにしていくことが、いまを生きて思考し行動できる世代の責任なんじゃないか?って思うのだよ。後世に名なんか残さなくてもいい、今を生きている私が私らしくできることをやって逝く。

来世はあるかもしれない、ないかもしれない。どっちにしてもこの世は今生の1回しか生きられないのだから楽しんで、面白がって、最期まで行ったろ♪

って思うんだよ。

だから、この《大河に一滴》は続けるよ。

この方たちはきっと大河に1万滴も落としてくれているね。

特に「米中激戦」ってトムクランシーの米中開戦を思い出した。「日米開戦」「米朝開戦」もあったりするんだよ。あれもなんかリアルだなぁ戦争ってこうやって起きるのか~って感じたもの。なかなかだ。

そう考えるとね、丹念に冷静に世界情勢を視ている人たちの分析ってすごいと思っているのさ。

なぜ死別したのか?

なぜか?を見つけた本

死別後というのは、バランスがまったくとれない足場の悪い巨大な《?》という文字のてっぺんに乗っているようなもの、なぜ? なんで? どうして? 疑問ばかりだ。 その疑問、少しずつで良いのでこれからの自分の人生から取っ払っておきたいと思ったときにオススメする。 その他の死別の本

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