やぶれかぶれ? ではなくて「怖いものがなくなる」
たいていが《やぶれかぶれ》で分かったような気になる。
「そうじゃなきゃいけない」「そうであるべき」とさっさと忘れようとしてしまう。
特に悪いことでもないだろう。
自分にはそれができなかっただけだ。
いくつかあると思うのだが、そのひとつ。
言い方悪いかもしれないけれど、「もうなくなって怖いものがなくなってしまう」と、どっかの深い沼の底を打ったような気になって、あとは浮かび上がるだけ?
そんな気分になってからが始まりかな。
人によってその心境になる期間は違うと思うよ。
三回忌で、ひとつの区切りがついたように思えるかもしれないね。
七回忌?
人による。
人によっては十三回忌でやっとって人もいるのではないだろうか?
十三回忌って大きな区切りじゃない供養が一旦終了のような決まり?
であるならば、それも楽だ。
このころにはもう大分落ち着いてきているのではなかろうか?
怖いものがなくなったって、別に故人の幽霊とかそういものが怖いって意味ではなくて、胃軸としては、やもめとしては、そんな幽霊だったら、出てきてくれってお願いしたいくらいだし、当時は実際に神様仏様に毎晩頼み込んでいた。
怖いものとは、今まで一心同体?夫唱婦随?とそこまでじゃなかったにしてもそれこそ二人で一生懸命、必死で生きてきたのに、その片割れがいなくなってしまったわけ、身体が半分になったようにも感じるだろうし、胸にポッカリ穴が空いてしまったようにも思うだろう。
丸裸にされて荒野に放り出されたような心持ちで喪失感がものすごい状態で、常に不安感が心にわだかまっているような状態。
そこから、「あ、もう良いかな」と思えるようになる状態のこと。
そうなれるころには、「何で彼女(彼)は亡くなったのか?」などのわだかまりなどを納得できるようになる。
「自分で納得する」ってことが大切なんですね。
では続きはまた書く。
次回は、
自分で納得することは遠回りではない
管理人モアイはそう思っている。
ほんとに様々なことを考えることができたんだよ。
果てしなく会話もした。
なにかあると、ユキだったらどう考えるだろう?ってね。
うちの子ね、女の子ばっかりなんです。それも平均の出産子育て人数なんてとっくに超えてしまっているのです。でも、テレビの大家族に出演するほどではないんですよ。
彼女が亡くなった時は下の二人はまだ小学校でしたからね。
男やもめのひとり親が子供の学校のことで悩みがないわけはないのです。
あ、こんど子供と相対するときにどんな風に接すればいいのかも書きますね。
復活の前兆って・・・
彼女がいなくなることで困ったことたくさんありましたけど、いなくなったことで「なんでオマエいないんだよ!」って怒ったりね。
そのうち、気持ちに整理をつけていくように、心ってのは修復していくんですな。
そういう会話なり、自分の中でも考え続けて、情報求めて(いまはネットがあるから良いね)彷徨い歩いているうちに、鍛えられていくんじゃないでしょうかね、キズにかさぶたが盛り上がってくるようにね。その傷跡は以前より強靭になっていくようです。
またここから続き書きますね。