【常識は時代で変わるんだ】米朝会談に含まれるもの

世の中見聞録

人は、その人なりに自分の常識というものを持っていて、その常識は誰でも共通しているものとして勘違いをしているのかもしれない、誰でも守るべきものとその常識を持つ本人は考える。しかし似て非なるものだ。常識も全てが共通しているわけではない。だから世の中、面白いのかもしれない。

 

どっかの野党のように、いっつもいっつも他者の責任して大声で喚き散らすだけで挙げ句の果にもう仕事しないから!と宣言して超長期連休に突入し、これ幸いと海外旅行を楽しんでくるような人。これも彼らの常識なのだろう。

まぁ、見ていて面白い。

他者の不倫をこれでもか!ってくらい攻撃しておいて自らの不倫を暴露されても懲りない人、あの展開も楽しめたなぁ。

 

昔というか数年前、国内のこれらの人々への評価も批判や義憤に駆られた日々もあったのだけれど、見方や考え方を変えて見てみると徐々に変化をしてきて、彼らは彼らで存在意義があるのだな、と気がついたのだ。

 

「人の振り見て我が振り直せ」という言葉があるけれど、昨今ちょくちょく頭の中に浮かんで来る言葉で、この言葉を思いつくたびに「自分にはこういう恥ずかしい言動、行動はないか?」と考えてみることで、今後を肝に銘じている自分がいる。

 

そう考えると彼らの存在も有り難いものに変わってきたのだ。

例えば、あの18連休だか19連休だかは正確でないかもしれないが、この日本では10日間でも大型連休になるわけで、それの倍近い日数を仕事を拒否しての超大型連休にする。中には「海外旅行を楽しんできましたぁ」などとネットに上げるような愚かな人が批判を受けないわけがないだろう。

特に彼女の場合は二重国籍問題までいまだに燻っているのに、だね。

 

本来であれば、あの国会を拒否するのならば、例として国会内の一室に固まってジッとしていて抗議してる姿勢を見せていれば支持率も変わっただろうにな・・・しかし、これ幸いと休日を楽しんだ彼らは、つまりは、「国のため、国民のため」と大声で叫びまくだけで、何も考えていない本音、本質が見えたことであった。

テレビカメラの前でプラカード?を掲げることが大好きで、(いつかの選挙のためかどうか知らねども)パフォーマンスが大好きなくせに、そういうちょっと辛い?一室に籠もって抗議するような行為は、節操が薄っぺらい・・・(その薄っぺらさは、あのあれよ、ゆで卵の殻を剥く際に、殻と本体の間に薄皮があるじゃないですか?あの皮が切れると殻もつるっと向けるじゃないですか? あれくらいの薄さです)

 

で、つまりは私は「今までの常識が大きく変わろうとしている時代なのだ。事によっては全く真逆に走る常識だってでてくるのでは?

そんな大きく変化する過渡期に自分がこの世に存在していることに感謝しつつ関心をもって生きているのだよ。

 

あ、元い

 

彼らには一室に集まって18日間、彼らには大変な苦行なのかもしれないね。

一種のデモみたいなものかも知れないけれど、嬉々として遊びに行くよりも見栄えが良かったはず。

 

と《やもめのモアイ》は思うのです。

常識に凝り固まらずに世の中を見上げて見て、次に見下しても見て、常識の変化を探りながら少し離れたところその姿を見る観察する・・・面白い、興味深いですよ。

 

で、米朝首脳会談を見て思ったことなんですけどね。

トランプさんが拉致問題について言及してくれたとのこと。

「ちゃんと言ったからね」とおっしゃっていたけれど、あれって詰まりは、「言うだけは言ったからね、拉致問題は日朝で解決してね。」ってことで当然のことなんだろうな。思われ、この問題に関しては当事国で話し合わない限り解決しないわけで、そこまで勝手に踏み込むことはしてはいけないんだよ。そこはトランプさんはわきまえた上で、「金銭的な援助、支援は日韓に頼めよ」と言ってくれたわけで、今までさんざんに日本をバカにして軽く見てきた北朝鮮(個人的には韓国も同じく見てるよね)に「金に関してはアメリカは知らんし出さんし、日本しかその余裕のあるの国はない。日本と拉致問題についてしっかり話をつけない限り、日本と同盟国であるアメリカも制裁は解除しないよ!!」と暗に言ってくれたんですよ。

 

だから安倍首相はすぐに「日朝会談をやる」と発言したんですね。

すでに見えないところで会談セッティングの交渉はしているんでしょうよ。

 

あくまでも個人的な想像ですけどね。

まるで将棋の攻防戦をみているようで、裏ではもうほんと丁々発止のせめぎあいをしているんだなぁ、って。

我々のような一般人は、あとになってしか分からないし、知らないまま封印されてしまうのかも知れないけれど、それでもあとになって想像することができるようになり安くなるわけで、それだけでも十分だ。

 

日本人が、今後の、展開に、強い関心、をもって《本当のところ》を追求していけばよいのだと思うのです。

つまりは日本人が関心を持ち続けることが彼の国への圧力になるのだと《やもめのモアイ》は考えます。

 

 

ではまたね

 

《あとがき》

いつものように個人的意見を好き勝手に書いてます。

おそらく人は、気づきからそういう段階を踏んで徐々に何かを理解していくだろう。

私の場合、あの漁船衝突事件、地震、死別、気づき、批判、義憤という段階を踏んできたいまの理解に来たんだと思う。これからどこまで行けるのかなぁ、と、ちょっと思う。

これだけは間違いない。と思えることは、「人の所為にばかりしているうちは気が付けない」ということ。そらそうだわね。それは自分の頭で考えることを拒否しているだけなのだから・・・

 

ここのところ電子書籍にハマりそうで・・・

《これいいなぁって・・・》でも、もっとも読んでいる時代小説とかってほとんど集め終わってるんだよなぁって、そのへんが悩みだけど、でも寝るときに持ちやすそうだし、ベッド用のランプいらないかもだし、、、メガネ書けなくても読めそうだし、、、

 

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