「池袋の事故」で思うこと「運転免許証を更新する限界年齢」が法律化されるのだろうね

昔、若かりし頃住んでいた池袋、毎晩添い寝をしてくれるお相手が違っていて、なんか懐かしい思いがね・・・・・・・・(・・・でごまかしておきたい(笑)もね・・・)

住んでいたのがちょうどあの辺だったのだ。だからすぐに分かった。


結局はいままで築き上げてきたものを一瞬で失う危険を予知できない人の問題。

その犠牲となって亡くなられた方には同情したい。

自分の身に置き換えた時にはこう考える。

 

私のようなジジイのせいでこれからの生を謳歌するはずの人々を死なせてしまった・・・

もしかしたら、もしかしたらだけど、これは「自分を裁かねば・・・」と考えるかも知れないなぁ・・・ってね。

格好つけて言いたいわけでもなくて、自分自身が耐えられないのではないかな? と思うのだ。

「問題なし」判定…なぜ事故が相次ぐのか 池袋事故
東京・池袋で乗用車が暴走し、母子2人が死亡、男女8人が重軽傷を負った事故で、運転していた旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長(87)が、平成29年の免許更新時に受…

だからそんな思いになる前に他の方法を考えて車の運転なんて止めることだ。

いくらでも方法は考えられるだろうよ、金で解決できるなら毎回タクシーだってよいではないか。そのほうが経済に貢献できるでよ。

確かに生活のなかでは多少不便にはなるし、「自分は大丈夫」と考えたいのであろうけれど、確実に老化している自分をしっかり観察するべきなのだ。子供が「もう止めたら」というのであれば「なぜそこまで主張するのだろう?」と自分を冷徹に観察するべきなのだ。

 

筆者は若い人に運転してもらったうえで、それなりに長い運転経験をもとに教訓を教えてあげたい。と考えるし実際にタクシーと若い人の運転の生活になっていてもう何年も運転していない。

年齢的にはまだまだ運転してもよいのかも知れないのだけれど、、、そもそも車の運転に興味がなくなったのだ。だから運転してくれてまだまだ車に興味を持っている人には買ってあげたい。(これからお付き合いをする異性が運転がまだ大丈夫な人だったら運転は任す。もしかしてそんな人がいるならばその辺を理解していただかねば・・・www)

 

筆者モアイは、病気をしたことで「人は老いる」ということを知ることができたし、妻の病で「人は死ぬ」ということも学ぶことができた。

そのことも大きいと思うし、また逆にそうやって「まだ大丈夫、きっと大丈夫」と言いつつ運転をし続け人様の命を奪ってしまった老人たちには言い分もあるとは一応思うけれど、かかっているのは人様の命なのだ。 同情は仕切れない。自業自得でいいのでは? と考えてしまう。

 

是非、自分の状況を冷徹に冷酷でも非情でも観察して検討するべきだと思う。行政なんて対処が遅いんだから・・・もしかしたらいつか運転免許証を更新する限界年齢が法律で決まるのかも知れない。自分自身で決められない老人のために、変わって法律で規制するしかないのかもしれない。

 

でもそのときには、あなたの心ともっとも気になる世間体と社会的信用はとっくに地に落ちてに大きな傷がついてからのことかも知れないよ。

 

モアイが個人として思うのは70過ぎたら? 年金をもらう年齢になったら考えるべきことだと考える。

なんなら法規制で「年金を支給開始を機に運転免許の返納が必要」とかね。ついでに選挙権も返納で良いかも・・・あくまでも筆者の意見です。

 

他者は「人生100年時代」などと言い始めているけれど、その中には運動寿命や健康寿命も計算に入っているのだろうか?

ただ、医学の力で生かされている寿命であるならば、、、ん~~~~~・・・・私はいらないな。

 

3歳の子供、31歳の娘、その生命を考えるし、私が親、祖父の立場であったなら相手に復讐を考えるかもしれない。「いい年ぶっこきやがって・・・」と言う話であります。

もしも自分の身近な事件でしたら、行くときは黙って行きますのでこんな記事にもならないのですが・・・

 

ごめんなさい、ちょっと言いすぎていると思いますけれど、どうしてもジジイに湧き上がってくる感情です。

 

正直に書きました。

沈黙できない日本人

固定観念を外して「人生いろいろあるし・・・」と考えると思考内容にも柔軟性が出てくるように思います。

有機脳硬化症を発症しないように・・・常識も非常識も日々変化していくもので、昨今また喋りたくなってきた日本人です。

この場所で、週休5日で、書捨てる
《やもめのモアイ》

ムクムクと、ときに書かずに、いられない

世の中見聞録・やもおの学習帳
やもめのまんま つらつらと・・・