癌という病と向き合うことになって・・・遺族が看た癌の追憶

癌という病と向き合うことになって・・・遺族が看た癌の追憶 追憶の病

不思議なもので人間、年月とともに過去の出来事は記憶の彼方に消えていく。

もともとが記憶というものはそういうふうにできているらしいです。

日々の思考のなかで思い出さなくなった記憶はどこかの引き出しの奥にしまい込まれてしまう、または削除されてしまうらしいのです。

 

PTSD級の衝撃もです。

死別の瞬間というのものは、何が起こっているのか脳みそが理解していなくて、、、もう闘わなくて良いのだから病院から家に速く連れ戻してやりたくて、そればっかりで、、、

やっと理解できて喪失感とともに哀しみが襲ってきたのはその日の夜でした。みんなが寝静まった深夜でした。徹夜続きでしたから子どもたちも、きっと眠っていたとは、思いたいところなのですが、どうでしたでしょう? 尋ねたことはありません。

 

そんな記憶をいつまでも覚えていると、本体の精神に悪影響を及ぼしかねない記憶もどっか鍵付きの引き出しに仕舞い込んでおくのかもしれませんね。

最近、そういうことも多くなってきたもので、もう少し記憶の表層に止めておきたい記憶もありまして・・・どこかの誰かにとって役に立つような、今後の行動のヒントになるようなこともあろうかと、もう少しだけですね止めておきたい。

それと、いまの私の心境と当時の感情はだいぶ違うようでして、当時に書きとめ続けた思いのようなものは今読み返してみるとまったく違うのです。

だからそれと並行してもう一度、癌という死に至る可能性が大きな病気について書いておこうかと考えた次第です。

実は癌専用のブログがあるのですが、その場合、ここでは好きに書ける「死ぬ」という言葉が書きづらいのです。

いま現在、癌と闘っている方もアクセスしてくるのだろうなぁ、、、と考えたときに準備ができていない人にとってショックを与えてしまうのではないか? そこが筆者《やもめのモアイ》としては怖いものですから、《死に至る病としての癌》のお話はここに書くことにします。

 

良かれと思って、悪しからず、です。

追憶の病

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