人生のパートナーを亡くした人のブログ

生きてみて始めたわかった、人生は本当にいろいろあるもんだ。

二人の足元を明るく照らし躓かないように歩いていこうと頑張ってはみたけれど、人生ちょうど半分を過ぎた頃。

足元ばかりに気を取られ、隣で手を繋ぎ私の足元を明るくしてくれていた彼女。

その身体がコールタールのように真っ黒になってしまい、これまた炭というよりやはりコールタールをぶちまけたような池を泳ぐ彼女。岸に上がってきた彼女は真っ黒な全裸で、駆け寄った相手は当時の主治医だった。そんな夢から涙を流しながら目覚めた。


よく晴れた日だった。

さて、代表的なカテゴリーを紹介しておきたい。

やもめの心話

人生の前半が過ぎてすぐに起こったあの恐ろしい瞬間から、、、

早い人で最低でも1年、長くかかる人は7年でも10年でも・・・

たぶん自分の人生の中でパートナーの死を一度も想像したこともなく今の関係がずっと永遠に続くものと思い込んでいた人にはショックだったであろう。

いずれは諦めることになる。「仕方がなかったんだな」と、何かしらの理由をつけて自分をむりやり納得させる人もいれば、納得がいくまで考え続ける人もいるだろう。

ときに《四国遍路・四国八十八ヶ所巡礼》の旅に向かう人もいるのではないだろうか?
(筆者は実はそうするつもりだったけれど、子供やその他の都合がつかなくて「いつか行こう」と心の奥底に畳んだまま今に至ってしまったものだ)

その当時の残された人間の思いだったり、○○感と言ったものをどう考えたら良いのだろうか?

今はまだ脱しきれていない納得できていない方のヒントになれば良いなぁ、と書き続けています。

それがここ。

第一段階:やもめの心話(死別者が考えがちなこと)
《やもめの心話》は死別直後から半分に欠けた魂を修復するまでの期間に読んで、あなたの気が少し晴れたらそれで良い

いまやもめもやまい

世の男は女房が亡くなると後を追うように病気になったり死んだりするのだが、筆者自身も例外ではなかったのかもしれないが、なにか不可思議なもので、「え?なぜに自分までが・・・」などとおこがましくも考え込んでしまう。

病は気からなのか、それとも警告なのなか?

筆者の持病体験と妻の死因となった病を看続けた経験から考えてみようと作ったカテゴリー。

「病は気から」それとも警告・・・
「病は警告!」であり「死に至る病への警告」でもある!そんなお話をしたいな。というカテゴリです。あくまでも個人的見解であり医学的根拠などを証明するものでは絶対にないのでその上で読んで欲しい。

つらつらと フケるやもめの 往ける路

あれから何年たった頃だったろうか?

たくさんのことを考えたものだから、いろんなことに納得がいったんだ。いっぱい考えたんだと思う、だいぶ立ち止まってもいたから、単純にそろそろ歩き出したくなったのかもしれない。

かもしれないけれど、心は本当に一転したなぁ、と。

あとに遺された遺族として、これからの残された人生は面白おかしく生きていこう、と思ったんだ。

ここでは

ヒトリミ人生を確信したやもめとして書いていこうと思うよ。

 

ひとり親の話とかいろいろ、吹っ切ったやもめは再婚もありだと思うから、その思うところを思うように楽しく生きていく思想を書きとめていきますね。

 

第2段階:つらつらと フケるやもめの 往ける路
死別を体験した悲しいやもめとして生きていくのではなく、面白い爺になって残りの人生楽しんで、抱腹絶倒の土産話を引っさげて「来たよ!」とあの世の女房に話したる。男やもめにも華を咲かせる話

 

やもめのモアイに見えた世の中見聞録

目が少し澄んでくると世の中もよく見えるようになってきまして昔と正反対の考えを持つに至りまして、そんな感想文も書きたくなります。ここで書いています。

やもめのモアイの世の中見聞録

世の中を自由に観察、勝手に考察、好きに解説します。個人の批判はしたくありません。どっかの国の・・・野党や政治家、その他を見ていて確信しました。「人の振り見て我が振り直せ」でございます。