なりたてやもめ、「死に至りたい病」に罹る

自暴自棄とは言わないけれど、

なりたてやもめは、

死別後1年は、

無理にでも笑っておくこと。

奥さんを亡くした夫は病になりやすい。

年齢によるかもしれないがどうもそういう夫は多いらしい。

どうしてなのか?

私なりの考察? 思いみたいなものを書いておきたい。

妻の存在に気が付かなかった夫

長いあいだ一緒に暮らしているうちに「そこに居て当たり前」の存在になってしまっていて、その存在がある日、目の前から消失してしまった。

探すのだ。

今までのことは冗談で、どっかに隠れているんじゃないか?

「もういいか~~い」と叫んでも応えがない。

はやく「もういいよ~~」と言ってくれ!!と願ってみても出てこないことに気づく・・・

それでも、探して、探す。

妻の存在の大きさを今さらながら理解する。

そんな夫を知っている。

毎日、パソコンの記録の中に遺っていた妻の姿を毎日、眺めていたそうだ。

その1年後、自らも癌に罹り、あとを追った。

いま思えばその旦那は「死に至りたい病」を発病したのではないか?と推測する。

人の心の不思議。

ひとつ伝えておきたいことを思い出しました。

実はここに書かれているような心情は男だけのものかもしれない。

妻の立場ではそう考えない場合もあるようで、、、

夫に早く死んでほしい妻たち (週刊現代)
「定年後は一緒に旅行」なんて虫酸が走る、 同じ墓に入るなどもってのほか―― 「愛されたい夫」の勝手な思い込みが悲劇を生む。 悲しいけれど、これが現実

まぁ、それも現実。

だからと言ってあなたが否定されているわけではないのだよ。

長かったのか短かったのか?闘いのあとの喪失感に負ける

「終わってしまった」という解放感がある。

なんでかな? 解放感なんだよ。

「やっと終わった」みたいな。

だから、すぐあとに罪悪感も感じる。

そんな解放感を持ってしまった自分への嫌悪感のような、「君が死んで喜んだわけじゃないよ、でも、ゴメン」みたいな。

申し訳ない。

そう思う人がいたら、言ってあげたい、

「あなただけじゃないよ」と。

「生き残ってしまってごめんなさい」

この感覚は、例えが悪いかもしれないが、

一緒に闘ってきた戦友が敵の弾に当たってしまったような、

戦友を喪ったような、

そんな感覚。

きっと、こう思うのだ。

「俺に当たれば良かったのに・・・」

こう考えなさい。

その戦友も同じことを思ったはず。

一種、巡りあわせの運のようなものなのだ。

(あとで、役割と置き換えても良いかもしれないけれど、

その話はまた別な機会に書くことにする。)

長かったのか、短かったのか、

分からないけれど、とにかく闘いは終わったのだ。

あの必死な月日、人によっては「年月」とも言えるかもしれないけれど、

とにかく終わった。

終わってしまった。

その感覚はしばらく残るもの。

そう考えてゆっくりと同じ時間をかけてつもりで、

そのゆっくりと、

闘いのない時間を過ごすのだ。

「居ない」ことに、まず慣れること。

周りの人は復帰したあなたに気を使ってくれる。

それを煩わしく感じるときもあるだろう。

そう感じるときは、自分がまだピリピリしていて、

闘うために目いっぱい敏感にした神経を、

緩めることができていないということ。

ただし、「煩わしい」と感じることができるくらいには、

戻ってきたのだと思えばよい。

体調がたぶん変わる

これももちろん人による。

個人差があるということ。

すぐに病にかかるわけではない。

いつかわかると思うけれど、

人は、身体に無理をするから病になるのではない。
(これもいつか書く)

《思い》、《心》と言ってもよいのだけれど、

その思いが大きく左右する。

ピンピンしている人もいる。

どっかしかおかしくなる。

自分で自らの体調に気がつければ良いのだが、

今まで激烈な闘いをこなしてきた遺族には、

大したことだと感じられなくて、

「私は大丈夫」とピンピンしているように無意識にふるまってしまう。

病院に行け!

人に言われたり、自分でもちょっとでも「ん?」と思うことがあったら病院に行くことだ。

今までは他者の病状ばかり気にしていたあなたの体調を気づかってくれる人はもういないのだ。

あの闘いを潜り抜けてきたあなたはこう考える「俺は、あれだけの期間、あれほどの睡眠時間でも闘病を支えて看て、家庭も子育ても見て管理し、仕事もこなしてきた、だから大丈夫」

尋常ではなかったと思う。

しかし、

その尋常でない状況は終わったのだ。

その疲れは消えたのではない。

それも身体の疲れだけではなく、心の疲れがもっとも大きい。

相方を亡くしたものが「その後ポックリ逝く」のはそういうところが原因かもしれない。

そうかもしれない。と判断を下せるのは医者ではないあなただ。

医者でさえも、「そうではないかな」と言っているだけなのだ。故人をずっと看てきたあなたには分かるはずだ。「断定する医者にろくなのはいない」

しかし、「そうかもしれない」判断でも冷静に専門知識をもってアドバイスしてくれるのだから、いまのあなたの判断よりはずっと良い。

だいたい自分の痛みに対して不感症なくらいに鈍っているはず。

《やもめのモアイ》はそう考える。

だから、病院へ行け!

「死に至りたい病」から脱出する

これも《やもめのモアイ》の想像でしかない。

Moaiなりの対策、考え方を書いておく。

死に至りたい病、と勝手につけたけれど、

心中のようなものではない、

いままで書いてきた、喪失感や罪悪感、さらには戦友感のようなものから始まる厭世観、一種のPTSDなのだと考えればよいと思う。

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものです。 震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因になるといわれています。

「いやそこまで重いショックではなかった」と言いたいところかもしれないけれど、当時の管理人《やもめのモアイ》は病院に行っていたら何かの病名をつけられたことだろう。と今では考えられる。

だから、まずは病院に行け!ということ。

自らが自らの身体のことを心配してあげても、もうそろそろ良い時期なのではないですか?

、ということなのだ。

それに自分の心と体を大事に癒してやろうと考えて行動を始めることが前に歩き出す最初の一歩になることでしょう。

笑顔を創る

人は楽しいから笑う。

嬉しいから笑顔になる。

どうもそれだけではないような言説もあって、

身体から、表情から笑顔を創ることでも、その影響で良い気分になったり、機嫌が良くなる。

ということがあるようです。

人間ってのは不思議な動物です。

つまり、笑ってみる。

面白いことがなくても笑顔を創ることで、気持ちも楽になっていく。

これ一つの方法。

まだ病院に行きたくないあなたはせめて、他の家族が寝静まった深夜にでも(見られると恥ずかしいかも(笑))鏡の前で創ってみるとよい。

滑稽に見えるかもしれないけれど、「あの《やもめのモアイ》の野郎!」とブツブツひとり言を良いながでも良いからやってみて欲しい。

モアイのお願い♪(笑)

ではまた

《あとがき》

いつものように書きたいことを書いた。

きっと、あなたにはあなたの解決法が見つかると思うので、参考までにしてほしい。

ここのところ世界とか経済とか政治とかって話ばかりだったので少しはブログタイトルにあった話を書きたいな、と思いまして、書き溜めた中から選びだしました。

今日は雨~雨の日、雪の日ってけっこう好きなんだけど、今日は寒いから出ない。

なんで?を見つけることができた本

なぜか?を見つけた本

死別後というのは、バランスがまったくとれない足場の悪い巨大な《?》という文字のてっぺんに乗っているようなもの、なぜ? なんで? どうして? 疑問ばかりだ。

その疑問、少しずつで良いのでこれからの自分の人生から取っ払っておきたいと思ったときにオススメする。

その他の死別の本

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする