死別後に変わってしまったことを一つ

人は想像することができる。

誰でも、「もしもあの人を亡くしたならどうなるか」と頭の中で予測をすることができる。

と思う。

しかし、現実はちょっと違ったようだ。

実際にいなくなってからの自分は想像を超えていた。「事実は小説より奇なり」などと言うわけだけれど、確かだ。

あんなに大きな音がするとは思わなかった。

折れる音、一瞬だけなのだが大きく「バキ!」実際に聞こえたように思う。

そうだなぁ、あれは心が折れた音。心の中で響いたんだよ。

それからがもう想像を超えた世界だった。

「自分は大丈夫」なんて思っていてもその想像を絶する衝撃には手の施しようもない。

あの、死ぬ瞬間、別れの時間をも超えたんだね。

そのときにはまだ哀しみしかなかったから、湿っていた分まだ滑らかだったのかも、その後、枯れはてて乾燥しつくしたことでちょっとした衝撃にも耐えられなかったのかも・・・

そんなふうに思っている。

だから、枯れんなよ。

じゃあまたな。

あとがきとして書くけれど、実は枯れてしまったら、一度折れた方が治りが早いのかも・・・

そうじゃなかったとしても、時間はかかるとしても、前よりも強靭になるのかも、とも最近思うようになった。

こんど、もう少し詳しく書こうかと。

なんで?を見つけることができた本

なぜか?を見つけた本

死別後というのは、バランスがまったくとれない足場の悪い巨大な《?》という文字のてっぺんに乗っているようなもの、なぜ? なんで? どうして? 疑問ばかりだ。

その疑問、少しずつで良いのでこれからの自分の人生から取っ払っておきたいと思ったときにオススメする。

その他の死別の本

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