ひとり親家の掃除の極意?

ふと思ったのですが、あのころは家の掃除などというものは適当で妻から「掃除を手伝って!」と懇願され簡単そうな掃除機ばかりを担当していたように思うのだ。

ひとり親になって、子供に手伝わせるのも一考だけれど、どうにもひとり親であることで子供に不自由を感じさせまいなどという、いま思うに全部自分がやらなければ・・・という一種傲慢な気分でいたころはがんばっちゃっていたけれど、、、

確かにひとり親になってから圧し掛かってくるさまざまな家事は男親である場合、きついものになるだろうし忙しさにかまけて優先順位の低いものになりがちだし放置しても実害がすぐに起こるわけではない。

こう考える。

家事はレクリエーション、つまり遊びの一環で、いかに清潔さを維持させるかのゲームと考える。毎日毎日、掃除の場所を変える。
毎日、家中を完璧に掃除してきれいにしようなんて考えない。

休みの日に全部・・・ムリ!!

休みの日は休むか遊ぶ、それかダラダラして酒でも飲みながら仏壇に話しかけていたい。それがモアイであります。

いまでは、例えば、
台所のシンク掃除で感じたことなのだけれど、
要するにだ。

キッチンのシンクなんてものは、
素手で触ることに抵抗を感じるようになる前に掃除をすればなにもストレスも感じることなくはかどるものだ。

どっか面にピンク色が見えるようになってきたら、それはあなたが飲み過ぎて目がおかしくなったわけではない、カビだ!

そうなると素手では触りたくないだろう?

だから、そうなりそうになる前の見極めができるようになって素手で掃除するのだ。

つまり、
「汚れた!掃除しなくちゃ!!!」
と感じる前に掃除をしてしまうこと。

これが極意だな。

どっかの潔癖症さんのように1度使うたびに大掃除までしなくてよいのだ。
健康に害を及ぼさない限り自分の出来るところまでで良いのだよ。
潔癖症の人にとって、それが基準なのだからそれでいいじゃないか。

筆者のように泥にまみれて生きてきた人間は生命力、免疫力、殺菌力を信じて生きているような者にはお勧めだ(笑)

人間というのは体毛を落とすものだ。

それこそ髪の毛から陰毛(チン毛、マ・・おっと失礼)までだ、(きっと見つけられないけれど鼻毛だって・・・)
そうそう白髪の抜け毛は見つけにくいよね(実感)

1階が全面フローリングつまり板張りの床だと、目立つ目立つ1本でも目に付くものだ。
畳張りの居間だったなら気にもしなかったのかもしれないな。

ならば、

体毛を何本見つけたら、「やるか」とおもむろに始めれば良いだけで、それこそ習慣にしてしまえば、身体が勝手に反応する(ソワソワと)

気持ちの良い状態を維持していくことを決めてしまうと結構楽だ

これって思うに、トイレの神様って歌がはやったけれど、その真意なのではないか?

「私は真理に近づいているのだ!!!」くらいの宗教観は持っても良いのではないかと考えている。《!》が3つも続くくらいの思いくらいが私にはちょうどいい。

ではまたね。

なぜ死別したのか?

なぜか?を見つけた本

死別後というのは、バランスがまったくとれない足場の悪い巨大な《?》という文字のてっぺんに乗っているようなもの、なぜ? なんで? どうして? 疑問ばかりだ。 その疑問、少しずつで良いのでこれからの自分の人生から取っ払っておきたいと思ったときにオススメする。 その他の死別の本

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