最後の最期に後悔しない、例えば自分は70歳を過ぎてからの癌治療をどう考えるだろう?

健康と病

健康とは何なんだろう? 病気とは何なんだろう?

少し過激なことも書いてしまうかもしれないけれど、あくまでも筆者《やもめのモアイ》の個人的意見。。。

病気は警告なのだ

ときたま考えてみるのであるけれど、これはその人その人によって「生きる」という意味や「人生」の意義をどう考えるか全く違うだろうから、本当は課題にするのも憚るような問題だけれど、どうも考えてしまうのだ。

もし、彼女の癌がもっと先の話で30年も40年も痕の未来のことだったら、と取り返せない希望のようなものが心の中に漂っている。

タラレバの話。

もしこの世にパラレルワールドのような世界があるのであれば、実現している次元もあるだろうな、と考えて次元移動できないかしらなんてことを考えたりもする。けっこう本気でね(笑)

しかし、いまのこの私が勝手に次元移動したら先の次元にいた私がはじき出されるのか?

それもちょっと、自分が可哀そうだ。ってな。

ちょっと本音の部分が出てくると認めたくなくて叩くの?どうやっても現実は迫ってくるよ。

いつだったか、麻生さんが「『90歳になって将来が不安だ』いつまで生きるつもりだよ。って話だ」と発言して世間から怒られていたね。

私は結構賛成でして、この死に至る病である癌を70歳、80歳で発症したらどう考えるか?

自分だったら、それまで元気でいてくれた妻だったら、どんな結論を出すだろう?

パラドックスになるのだけれど、あの妻のがん闘病を支えた体験や経験からこそ手に入れた?手に入ってしまった考え、思考、というより思想になってしまった。
人の生死や人生のありようとか姿への考え方が固まってしまっているから、いまの自分から「もしこうだったら・・・」という想像には矛盾ができてしまうわけだな。気が付いた。

だから今の自分から考えれば、「自分だったら、そのステージにも寄るだろうけれど、治療はしない方向に傾くだろう。

で、その決断をした後は、とっくに独立して子供(孫)も何人かいるであろう家族、血族?には納得してもらう。説明はつくすけれど、翻さないし後悔はしないな。

そう考えたのだ。

もう十分だ。そこまで生きてこれてありがたいことだ。

そう考えると思う。

そう当たり前に考えられるような生きかたをしていくつもり。

「どう生きたか?」が大切であって、大事にしたいと思う。

最後の最期に、「もっと人生を楽しめばよかった」と後悔する事柄を一つでも二つでも減らしていくよ。

よく話題になる「人生の最期を迎えて後悔すること18」とかは勘弁だ。せめて一桁、片手で数えられるくらいに減らしておこう。

雨の今日はそんなことを考えた。

ではまたね。

《あとがき》

実はモアイ、「病は警告!」だと思っている。

生活習慣病だったら、身体から「お前、このままいくと、ちょっと死ぬのが早くなるし、痛い目に会うよ、それもかなり痛いぞ!」

癌だったら?例えば末期だったら、

「あなたの寿命はもうすぐ尽きます。今のうちに身の回りの整理、心の準備を始めてください。できるだけで良いのです」

そういうことだと考えているよ。

モアイ自身も生活習慣病です。警告を護らないとある日を境にこのブログの更新が途絶えるかもしれませんな。そのときはもう逝ったな。ご了解くださいませ~。

そういう話はこっちでたまに書いている

あくまでもタマ~にだよ。昔のことだしね、ただ今現在真っただ中にいる人様用に書いているようなもの。